実家を離れてからもボクがまだ千葉に住んでる頃は、家族内の誰かが誕生日の時に集まって食事をするという機会が結構あった。いつもは、定番の焼肉屋とか寿司屋に行く事が多かったのだが、ある時父親が「オレの知ってるいい店があるから、皆でそこに行こう」と言い出した。そして、連れられて来たのは驚いた事に大衆酒場!ボクも弟も酒は飲めるクチだったものの(ちなみに母親は全く飲めない)、その頃はまだいわゆる“若者向けの店”にしか興味がなかったので、昭和の香り漂う木造のひなびた店舗には父親以外全員が「え?」と目が点になってしまった。
で、店内は広いもののオヤジ客でギッシリ…どうにか座敷きを用意してもらったのだが、汚れた畳も湿った座蒲団も馴染めず、出された料理の数々も今思えば美味しい物だったのだろうが、揚げ物とか肉料理にマヨネーズとかケチャップをビシャビシャかけて食いたい年頃のボクらに「ここの、キンキの煮付けは絶品なんだぞ」って言われても「はあ…」って感じ。嫌煙者である母親にいたっては呼吸する事さえままならないという、ちょっとした地獄気分に浸ってる始末。その後の事はあまり覚えてはいないのだが、結局どんよりとした雰囲気のまま早々に引き上げ、父親はしばらくむくれていたような記憶がある。
で、現在なのだが…なんと今まさにボクが大衆居酒屋にハマってるじゃないですか!なので、こないだメールで父親に、あの時の事を話しつつ「昔はあの店の良さがわからなかったけど、いま改めてもう一度あの店に行ってみたい」と「だから、身体が良くなったらまた連れてってください」「ちなみにボクが最近気に入ってる店ではモツ焼きが70円で、しかも、なかなかうまいのだ」「山形に来たら案内してあげよう」と…
昨日は父親の手術の日でした。予定時間をオーバーして5時間もかかったそうですが、結果は「やって良かった」と言えるものだったらしく一安心。報告の電話をくれた母親の声も明るく、摘出した患部をゴム手袋して触らされたと苦笑していました。付き添いは、弟夫婦の他に叔母三姉妹も駆け付けてくれたそうで、麻酔から醒めた父に早速「生活をもっと摂生するように」と言い渡してたそうな…叔母さんたち超強いからな。長男である自分が側に付いていられなかった事を心苦しく思う部分もありますが、事前にメールや電話で充分コミュニケーションはとれていたので、許してもらえて…たらいいな。
まだしばらく検査を繰り返さないと完全に安心できるかどうかわからない状態ですが、前回この父の病気の事を書いた時に心配して声をかけてくれた方が結構いらっしゃったので、とりあえず報告をさせていただきました。今はとりあえず「ホッ」としております。
で、店内は広いもののオヤジ客でギッシリ…どうにか座敷きを用意してもらったのだが、汚れた畳も湿った座蒲団も馴染めず、出された料理の数々も今思えば美味しい物だったのだろうが、揚げ物とか肉料理にマヨネーズとかケチャップをビシャビシャかけて食いたい年頃のボクらに「ここの、キンキの煮付けは絶品なんだぞ」って言われても「はあ…」って感じ。嫌煙者である母親にいたっては呼吸する事さえままならないという、ちょっとした地獄気分に浸ってる始末。その後の事はあまり覚えてはいないのだが、結局どんよりとした雰囲気のまま早々に引き上げ、父親はしばらくむくれていたような記憶がある。
で、現在なのだが…なんと今まさにボクが大衆居酒屋にハマってるじゃないですか!なので、こないだメールで父親に、あの時の事を話しつつ「昔はあの店の良さがわからなかったけど、いま改めてもう一度あの店に行ってみたい」と「だから、身体が良くなったらまた連れてってください」「ちなみにボクが最近気に入ってる店ではモツ焼きが70円で、しかも、なかなかうまいのだ」「山形に来たら案内してあげよう」と…
昨日は父親の手術の日でした。予定時間をオーバーして5時間もかかったそうですが、結果は「やって良かった」と言えるものだったらしく一安心。報告の電話をくれた母親の声も明るく、摘出した患部をゴム手袋して触らされたと苦笑していました。付き添いは、弟夫婦の他に叔母三姉妹も駆け付けてくれたそうで、麻酔から醒めた父に早速「生活をもっと摂生するように」と言い渡してたそうな…叔母さんたち超強いからな。長男である自分が側に付いていられなかった事を心苦しく思う部分もありますが、事前にメールや電話で充分コミュニケーションはとれていたので、許してもらえて…たらいいな。
まだしばらく検査を繰り返さないと完全に安心できるかどうかわからない状態ですが、前回この父の病気の事を書いた時に心配して声をかけてくれた方が結構いらっしゃったので、とりあえず報告をさせていただきました。今はとりあえず「ホッ」としております。