住所:山形市城西町5-26-28 コープ城西店内【地図】
営業時間:10:00~22:00
定休日:年中無休
画像:踊るたこ焼き:4コ(200円)、どんどん焼き(200円)

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友人にタコヤキ情報を聞きまくっていたら、ここを推薦されたので来てみました。

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ビックリしたのは、この店のタコヤキ製造機!撮影できなかったんだけど、実に不思議な装置だった…串で刺したりひっくり返したりしないで、揺りかご状態になった鉄器の中でユラユラと転がしながら焼き上げるのだよ!なので、全体的にフワフワ!中はトロトロでタコも大きい!他の店とはかなり印象のちがう、明石焼きに近い雰囲気のタコヤキでした。

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どんどん焼きは普通に普通な味で、もっちりしてて中濃ソースの味。この店の脇に「どんどん焼きマメ知識」みたいなボードが貼ってあり、実に詳しく解説されてて感心したので、ちょっと長いけど引用させていただきます。

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Q.「どんどん焼き」っていつからあるの?
大正時代、東京ではもんじゃ焼きを駄菓子屋とは別に屋台で売り歩くようにもなりましたが、駄菓子屋のようなゆるい粉では持ち帰り用としては適しません。そこで、もんじゃ焼きは「固さ」を必要としました。その固くしたもんじゃこそが「どんどん焼き」の始まりです。この、まだ箸巻きではなかったどんどん焼きが山形に伝わったのは、戦前でした。

Q. なぜ「どんどん焼き」って呼ぶの?
屋台で売り歩く時に、客よせのために太鼓をドンドンと鳴らしながら売り歩いたことから呼ばれるようになりました。地域によってはこの屋台で今川焼きのようなものや、飴なども売られていたこともあります。そのため、今川焼きのことをどんどん焼きと呼ぶ地域があるようです。また、主に関西方面に伝わっていったものは「一銭洋食」と呼ばれるようになりました。ソースを塗って安価で売られていたのがその名の由来のようで、戦後、関西ではこの一銭洋食が現在のお好み焼きへと発展しました。

Q. だれが初めたの?
山形で初めてどんどん焼きを棒に巻いた人物、それは大場亀吉さんです。大場さんは汚れた手ぬぐいをベルトに挟み込み、下駄を履いた小柄な人で、この人こそ現在のどんどん焼きを発明した人物なのです。大場さんは戦前からどんどん焼き屋を初めました。それ以前は、山形にどんどん焼きはなく大場さんが東京で学んで山形で初めたのでした。やはり大場さんも太鼓を叩きながら売っていましたが、この鳴り物はのちに鐘へと姿を変えました。

Q. なぜ箸に巻くの?
当初、どんどん焼きは経木にのせて売っていたのですが、子供達は熱くて持つ事ができません。それを見た大場さんは棒に巻くことを思いつき、自らナイフで木片を削って棒を作りこれに巻いて売るようになりましたが。これが、山形特有の箸に巻くどんどん焼きの誕生です。これによって、手に持っても熱くなく片手で持ち歩けるようになり、現在のファーストフードのような手軽さが生まれました。その後、大場さんをマネてどんどん焼きを売るようになった新人さんたちは、1本の棒で巻こうとしたのですが初心者には難しく、結局2本で巻くことにしたそうです。これが、今の割り箸1膳に巻くどんどん焼きのルーツです。

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ボードには他に「どんどん焼き」の進化図のようなものも描いてありましたので、興味を持たれた方はぜひ一度お店に行く事をオススメいたします。

再来店の可能性:○