「たまには1人で遊び行ってらっしゃい」不調のカミサンにそう言われたので「ふふふ、本当にオレを1人で夜の街に放っていいのかな?今夜帰るのは何時になるか…いや、帰ってくるかすらわからないぞ」そんなことを嘘ぶきつつ家を出た。しかし、夜道を歩きながら考えるに1人で飲み歩くのって山形来てから…1回だけか、それも行くと話し込むのが常だった行きつけの居酒屋のマスターに呼び出された時だけだ。千葉に住んでた頃はよく会社帰りに1人で飲んで帰ったりもしたけど、あれは店の人に話しかけられたりする可能性がほとんどゼロに等しいチェーン居酒屋とかで、本を読みながらビールを何杯か飲んでただけだからなあ…いまの大衆居酒屋トコトン飲んだくれスタイルとはあまりにちがいすぎる。ふと不安がよぎったが、考え方を変えればこの状況、新規開拓調査の為とすれば1人だけに経費的なリスクが少なく、かえって好都合かもしれない。ダメな店に入ってしまっても1杯で出てきちゃえば数百円の損害にとどめる事もできるのだから、むしろフットワークを軽くして今夜は一気に5軒くらい回っちゃおうか?そしたら、飲酒履歴のネタ的にも今後の広がりが期待できるし、カミサンにも自慢できるかも「なかなかいい店があったが、君を連れてくかどうかは…そうだなあ、気がむいたらかな」とか言ったりして

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そんな事を考えながら繁華街を歩くこと早1時間…いい加減ノドも乾き疲れてきたが未だにピンとくる店を見つけられず…いや、見つけられないというより自分の中で勝手に色々とケチをつけては回避し続けてしまってるような気もするが…でも、こうして回ってみると現在通ってる『やきとり二口橋』や『八起』はなんか初見から違った気がするなあ。こう…オーラがね…そう、オーラが出てたよ「うちはいい店だよ~」って聞こえてくるようなアレがあったね!それに比べてここいらの店は…いや、そういった馴染みの店に行く事も考えたよ、考えたけど「いらっしゃい、あら?今日ははひとり?めずらしいわね」「うん、カミサンちょっと具合悪くてさ…」「あらそう」「うんそう…」で、シーンてなっちゃうのも気まずいじゃない?だったらいっそ新規開拓の方がさあ~

自問自答を繰り返しながら無表情で花小路を回ること3周目、このまま入口に白いテープが貼ってある店があったら両手を挙げて「ゴール!」って言いながら入ってしまいそうだ。ちょっとくたびれた赤ちょうちんが下がっていて、看板に“煮込み・モツ焼き”なんて書かれてるボク好みな店があっても、風通しに開けた引き戸の間からチラッとのぞくと気軽に入れる雰囲気ではない。こじんまりとしたカウンターには常連らしき男性客が2人、他に客がいないので足を伸ばして隣のイスにドッカリと乗せたりしちゃっている。聞こえてくるのは「んだから、ヨシオはダメだべって言ったべ、ヨシオはよ」「だども、あれにはビックリしたっけ…」なんて声。歩くスピードをゆるめずに今得た情報を妄想変換する…客は2人共近所に住んでて店主と共に御輿の担ぎ手仲間、話題に上がってる人物も仲間だったが最近あまり積極的に参加してこなくて皆でどうしたもんかと気を揉んでたが、どうも噂によると…みたいな、あ~ダメだダメだ、そんなぶっちゃけた話をしている人達の中に入っていったら他所者に警戒して会話が途切れ、かといって常連客と店主には上っ面で交わすような話題もなく「んだから、さっきのアレはまあ色々考えねとな」「んだな」「んだ…」になっちゃって「んじゃ、そろそろ帰っか…」ってな流れがハッキリと妄想モニターに写ってる。ダメだダメだ!ここには入れねえ!

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花小路を抜けて図書館のあたりに出ると、去年まで3年ばかり通っていた居酒屋がすぐ近くにある。気に入って毎週のように来ていたが近づき過ぎて、客として店として互いに距離感がうまく築けなくなってしまい足が遠のいた…今でも顔を出せばマスターはニコニコしながら「おぉ~ひさしぶりじゃん」と言ってくれそうな気がするが、気のせいだという気がしないでもないと言えないこともない気がするようなしないような。鉄柱に張られたクサリをまたぎ図書館の敷地に入る、腰を低くして木陰から店の方を覗く…この季節はいつも戸を開け放っているので店内が見渡せるはず、どうやら客はいなそうだ…なるほど。ふと気配を感じて振り返ると、10メートル程先の道路から犬を連れたオバサンがこっちを見ている「気にしないでくれ、どう見ても怪しいだろうが実は何も怪しくないのだ。頼むからボクのことは見なかったことに…」心の中でつぶやくとオバサンは去って云った。ボクも通報される前にここから出よう…明るい通りに戻ると改めて全員で脳内会議だ「もう疲れたからここでいいじゃん」「馴染みの店だから気を使わなくていいしさ」「久々だからマスターと話したいことも色々あるんじゃない」「かもしれないけどけど、でも…」「前のようなディープな付き合いは今さらできないし」「しかし、久々に顔だして常連扱いしろってのもムシが良すぎるだろ?」「だよな~」「前、ここにそういう客が来た事あったよな」「あったあった、何度かあったよ」「あれ、嫌な感じだったよな~」「久々だからたいして会話も噛み合わずに、それでも帰りに『ここ、いい店だから通ってやってな』って他の客に言ったりして、お前が通えって話だよな」「あれはカッコ悪かった」「ああなったらせつねえな…」「でも、客いなそうだったから普通にマスターと会話できればそれでいいんじゃね?」「その客がいないってのも問題だよな」「あ~、客いないとマスターがすぐに他所の店に遊びに行きたがるからなあ」「おねえちゃんがいる店とかな…」「カミサンがいないから誘われる可能性は極めて高いな」「金がないって言えば…」「それは大丈夫って言われちゃったらアウトじゃん」「出してもらってもな…」「それこそ、来週もまた来ま~すって言わないわけにはいかないでしょ」「だよなあ…」

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パッパ~ッ!タクシーのクラクションで我にかえり道の端に寄る「いやいや、何を考えてるのだ」「そもそもの話がちがってきてるではないか」「新規開拓が目的のはずだろ、ここで古い馴染みに戻ってどうする?」「むしろ、馴染みに行くのだったら現在のお気に入りである『八起』に行って黒糖焼酎を…」「いやいや、新規でしょ新規!」自分にカツを入れて再び思いを新たに裏通りに入って行く。立ち並ぶネオンを凝視しながら、それでいて軽い足どりを心がけ歩く…エメラルド、石狩、七番街、マーガレット、さむらい、ジュノン、スナックばかりの通りに入ってしまったようだ…ん?右に伸びた細い路地の先に“大衆酒場”という文字が見えたような?引き返しすとやはりあった、50m程の短い横道の突き当たりに赤いちょうちんが輝いて見える。よし、あそこにしよう!なんたって“大衆”と名乗ってる位だから金額的に大きな損害はありえないし、ひょっとしたらウマいモツ焼きにでも出会えるかもしれない!さんざん歩き回って良かった、いい店の予感に包まれながら足早に路地へと入った。

店先に立ち外観を眺めると、思いのほか新しい建物のようだ…板張りの壁は黒に近い茶褐色で高級感すら感じる。路地裏の老舗を期待してた気持ちがしぼみ弱気になるが、ここで引いて歩き続けるのはゴメンだ!ビール!ビール!後のことは冷たいビールを飲みながら熟考しよう!目の前のちょうちんに書かれた“大衆酒場”を信じ、思いきって戸を開けた。白熱灯のやさしい明かりが灯る店内は、黒と白を基調とした落ち着いた内装。「いらっしゃい!」細長いカウンターの中には目つきが鋭く恰幅のいい店主が作務衣姿で立っている。カウンターの手前には男性客が2人、会話を止めこっちをうかがってるが無視して奥へと歩を進めた。突き当たりのひとつ手前に腰かける。カウンターごしに店主の手が伸び、おしぼりを渡される「何にしましょう?」1杯目は決めてある「ビンビール」「…はい」ん?今ワンテンポ間があったな、生ビールをすすめるかどうか考えたんだな。まあいい、煙草に火をつけゆっくりと顔を上げて壁に貼られた品書きをながめる。生ビール500円、ビンビール600円…その隣を見て驚いた、当店特製煮込み600円!ん、これって高くないか?いや、高いだろ!大衆じゃないだろ!焦りつつも必死で冷静を装いながらメニューを読みすすめるが“煮込み600円”に対する理由予測でメモリーを使い過ぎてて、目の前の情報が頭に入ってこない。いわゆる大衆酒場における煮込みの相場といえば350円てとこだが、倍近い600円とは意外だ…大きめのドンブリで出てくるとか?すごく良い肉を使ってるとか?妄想しながら目に入ってくるのは、品書きに並ぶ700円800円という大きめの金額…どこが大衆だよ、これは割烹居酒屋ってヤツじゃないのか?

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品書きを追ってるうちに店主と目が合ってしまい、ハッとうつむいて煙草を灰皿で叩いた。「どうぞ」小鉢が出てきた、中身は厚焼き玉子だ…おいしそうというより値段が気になってしまう。グラスに続いて置かれたビールを見てさらに驚いた「こ、小ビン?600円で小ビン?」いつも大ビン550円の店で飲んでる身としては、ショックで大好きなクラシックラガーも霞んで見える。が、ここで引き下がったら負けだ!店主を見上げ「煮込みください」動揺に気づかれぬよう注文を済ませビールを注ぐが、グラスもビンも冷え過ぎていて泡がたたない…ちくしょう、600円もすんのに泡なしビールかよ、ちくしょう…「んじゃ、そろそろ帰っか」カウンターの手前にいた2人連れの声に驚いたが、そしらぬ素振りで2本目の煙草に火をつけ会話に耳をかたむけた「じゃあ2で割ってもらうか」「いや、今日はオレが出すよ」「え、何でだ?」「こないだお前酔っぱらってたくさん払ってったんだよ」「そうだっけ?」「そうだよ~だから次回はオレがって言ってあったんだよ」計算機をいじっていた店主が振り返えり、金額が書かれた紙を手渡しながら言った「2万5千円です」「ん、あ、はい」自分が払うと言っていた男が一瞬固まっていたから意外な数字だったんだろう、こっちまでビックリした。2万5千円って一体何を飲み食いすると2人でそんな値段になるのだろう?『一ぱいや』だったら白モツとレバーを100本づつ食べて、お酒を20杯飲んでも2万ちょいにしかならないぞ…やっぱりここは“大衆酒場”じゃない。ハズレを引いちまったようだな、マイッタ。

会計を済ました客が出ていくと、冷蔵庫の上に置かれたテレビの音だけが店内に響いている。伊藤四郎主演の2時間ドラマで犯人がどうとか言ってるが、ケツのシワが伸びきってしまう程つまらない。空になったグラスにビールに注ぎながら顔を上げる、品書きも自分の目の前付近はさんざん見たのだが入口の方は店主やその奥さんらしき人がチラチラ動いてるので凝視できず、いまだビール以外の酒の値段がわからない…すなわち2杯目を決める事さえできないのだ。そうこうしてると店主が近づいてきた「熱いから気をつけてください」カウンターに置かれた煮込みは、予想に反して小さな器だった。手元に置いて見入る、2cm角のサイコロ状に切られた肉片はモツでもスジ肉でもなく、何だろ、ロース肉かな?形が整ってるし半透明な部分もない。他に見える具はコンニャクのみか…汁がこれだけ澄んでるって事は、煮込んでアクと余計な脂を出しきってから新たに味付けしてあるな。ビールでのどを潤し、肉を口に放り込んだ「うおっ、やわらかい」これだけ柔らかく煮込んであるのにボソボソ感がないって事はロースじゃないな、適度に脂が入った霜降り肉…なるほど600円するわけだ。醤油味の汁も甘味がやさしく、芋煮を思わせる牛肉のダシが効いている。しかし、おいしい事はおいしいが何しろ5片ばかりのコンニャク以外は同じ食感の肉ばかり、口飽きしてしまう。箸を置くと、3本目の煙草に火をつけた

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カミサンに「店に落ち着いたらメールする」と言ってあったのを思い出し携帯電話を取り出す。「いや~まいったまいった」「どこで飲んでるの?」「花小路」「まだ帰ってこないの?」「だって、入ったばっかで1本目のビールも飲み切ってないもの」「ふうん。高いの?」「高いよ…ビール小ビン600だもん」「うわっ、最悪」煮込みに唐辛子を入れて味を変える。店主がさっきの客のテーブルを片づけ、ボトルを棚にしまっている。何の気なしに手元を見て驚いた「さわやか金龍?」山形じゃポピュラーな、焼酎のボトルとしてはかなり安い部類に入る物だ。あれを飲んでて2万5千円?考えられん!さすがに怖くなって、ビール1本で帰る決心がついた。

やっと2/3に減った煮込みに「良かったら」と差し出されたカレー粉を入れて食べ進める。うまい!唐辛子は赤湯・大沼唐がらし店の小瓶、カレー粉はS&Bの缶入ってとこが、モノの質にこだわる店主の料理に対する心根を感じる。実際、どの品を頼んでもおいしい物が出てくるのであろうが、いかんせんこっちは“大衆”ってキーワードに惹かれて入ってきちまったもんだから落ち着けはしない。小学生の汚いガキが駄菓子屋だと思って鼻ほじりながら入ってみたら、高級和菓子がショウケースにずらりと並でおり、半ベソかきながら一番安い菓子を探してるようなもの…まあとにかく、これ以上の長居は互いの為によろしくない、不義理は承知の上だがこれにて御免「すいません…ごちそうさまです」

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会計は1500円。ということは、つきだし300円か…意外に安かったが出てきた事に後悔はない。足早に路地を抜けると、再び繁華街のネオンを見上げた「燗酒が飲みたいな…」まだ昼間の熱気が残り、じっとりと暖かい夜だったが無性にぬる燗が飲みたかった。今日いままで見てきた看板、馴染みの店も含めてどこに行くか検索したが出てきた答えは意外なことに「家へ帰る」だった。でも、確かにそうだな…具合悪いカミサンを残してこれ以上フラついて何があるというのだ?結局すっかり1人遊びが楽しめないオヤジになってしまったって事をいい加減認めた方がいいらしい。来週末にはカミサンの具合が良くなってる事を祈ろう、2人で出掛ければ又いつもの楽しい飲酒が待ってるはずだ。「写真も撮らなかったし、今週の飲酒履歴は何も書くことがないや…」そんな事を考えながら、家への最短距離を歩きだした。