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『デメキング〈完全版〉』いましろたかし/太田出版刊

狩撫麻礼いわく“平成のつげ義春”との評もある私小説的な作風(本人は私漫画と読んでる)にファンの多いいましろが1991年、それまでの“迷走する貧乏青年のやるせない短編ギャグ漫画”というイメージを残しつつも心機一転、長篇ストーリー漫画としてビジネスジャンプに発表した作品…それが『デメキング』である。しかし、作品に多くの謎かけを牽引する力が満ちぬまま失速…結果、14話で打ち切り。単行本化もされぬまま、人々の記憶から消えていった(その後『釣れんボーイ』で注目され始めた1999年に1度目の単行本化…この完全版は、2007年2度目の単行本化のもの)。

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正直、『デメキング』という作品単体でその内容を評価してしまうと、登場するキャラクター達は相変わらずのいましろキャラ達で魅力的であるものの、ストーリーの全容はほとんど見えぬ状態のまま終わっているので「なんとなく、心に残る」とは思えても「面白い」とまでは言えない作品であろう。んが、この〈完全版〉はオモシロイ!しかも凄くオモシロイのだ!というのも、巻末に“描き下ろし完結シーン”があり(かなり投げやりではあるが)、二段組12ページに渡るロングインタビューにて、どうして『デメキング』を描いたのか?全体のストーリーをどこまで考えていたのか?何でてこうなっちゃったのか?そもそも『デメキング』って何?まで、全部!赤裸々に語り倒しているのだ。しかも、かなり描き込まれ初期プロトタイプともいえる第1話のネームまで掲載され、最後の《解説》はインタビューの中でいましろが羨望と嫉妬を滲ませているヒット漫画の作者である浦沢直樹が『20世紀少年』と『デメキング』の意外な縁について書いているのだ。

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これは、もう…もちろん『デメキング』に魅力があるのは確かなんだけど、「ここまでのモノに!」というのは、編集者の力だよなあと思う。特にいましろインタビューの後半「100万部漫画を描いてるやつは“私漫画”は描けないんだから。こっちは逆に100万部漫画をやってから、今後はつげ義春をやってやろうか、みたいな。そんな生意気なことを考えてましたね。妄想でした。すみません…」から、その“100万部漫画を描いてるやつ”である浦沢の「あ、僕の考えてたこと、いましろさんがやってたんだ」という言葉までの流れは、編集者の自己満足でも作者に対する愛情でもなく、ただただ読者に向けた「どうだ!」っていうエンターテイメントとしてのモノ造り根性みたいなトコに感動すら覚えるのである。

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デメキングの全貌はハッキリと描かれてはいないが、要所要所で登場している…と、それはともかく『デメキング』の作中でボクが特に好きなのは田ノ浦少年探検団の買い食いシーン。

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田ノ浦少年探検団は、同級生からあまり相手にされてない中2の亀岡と小学生とのグループ。主な活動は「基地作り」「浮浪者の写真を撮りに行く」「手旗信号の練習」「キャンプ」「弱い者イジメ」「夜、自販機でジュースを飲む」など…かなりストーリーの鍵を握ってるにも関わらず、亀岡達が出てくるとどうも話しが脱線してるようにしか見えないのが楽しい。

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作者が、どんなに主人公・蜂屋に照明を当てようとしても、アホな亀岡達の方が輝いてしまうという事実が、“いましろにしか描けない何か”を導き出してる…というのが、悲しいながらも美しい。

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「………今日は金ないんや」

アホで粗暴なガキ大将にストンと影を与えてやると、コントラストが上がってグッとキャラクターに深みが増す。いましろが意図的に作り出しているのか、亀岡が勝手にしゃべってるのかは判らないが、主人公・蜂屋にこういうアプローチはない。

ちなみに3年後

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だよな。変わってないよな