禿生海峡冬景色

山形在住【食いしん坊中年男子】の平穏な日常に突如襲いかかる妻子と愛猫の嘔吐!そしてその内容物について…

2008年01月

天国や地獄

年末に帰省した時、実家裏の田んぼ道を歩いた。子供の頃は毎日のように通い、ザリガニやザリガニやザリガニを捕まえた思い出の場所である。住宅街と住宅街の“溝”という感じで横たわる田んぼに沿って細いドブ川があった。流れてるのは下水工事の行き届いていない住宅から漏れてくる生活排水や、近くにある汚水処理場から流れ出た白く濁った水…もちろん、そこを泳ぐ生物などいるわけもなく、洗剤の泡が浮かぶその流れを子供心にも「気持ち悪い」と思っていた。そんなドブ川周辺にホタルが現われるようになったと聞いたのは数年前、両親に言わせると「荒れ地になってた休耕田を市民団体が清掃したりして、昔より随分キレイになったんだよ」とのこと「へえ~」と思ったものの、わざわざ足を運ぶことはなかった。

んで、こないだついに訪れたのだが、遠目で見てると確かに30年前より自然を感じさせる風景…おおっ、環境意識が高まってドブ川が透明になったんだな?と思って近づいて驚いた、昔のまんま!合成洗剤の泡が虹色に輝く真っ白なドブのままだったのである。そして、さらに驚いたことに、そのドブ川にシラサギが立ってるではないか…ええっ?と思って一緒に歩いていた父親に「シラサギ?」と聞くと「ああ、最近どっからか来るようになったんだ…結構何匹かいるよ。それより、カモが多くてな」確かにしばらく歩くと、ドブ川を何匹かのカモが泳いでいる…ええっ?ええっ?

どうやら、ホタルが現われるのはそのドブ川自体ではなく、ドブ川にそそいでいる小さな湧水だか汚水処理された水だかの細い流れらしいが、それにしてもドブ川に佇むシラサギやカモというのは、そこはかとなく無気味なものであった。川沿いの遊歩道をしばらく行くと、生活排水の濃度が高まり水温が高くなったせいだろう…夕方の冷え込みの中で、ドブ川全体にモヤがたちこめ悪夢のように気味の悪い光景を作り出していた。スポーツウェアを着込み、小型犬を連れた年配の方達がたくさん散歩しているが、誰もモヤに包まれた川を凝視する人はなく、我が父親も同様であった。

早く山形に帰りたい…心からそう思った。



この写真は、会社近くの川に佇むシラサギ…この川だって、キレイとは言えたもんじゃないけど、あのドブ川に比べたら天と地…いや、天国と地獄だよ。

 

泥濘の底から…

去年9月、昔ボクが撮った写真をここに載せたんだけど、それを見た半田くんが「あの水母写真、こんど作る友達のCDジャケットに使わせてくださいよ…フヒヒ」「かまわんよ…フヒヒ」ってなやりとりの末、Charles Ullmannの『Up The Drain』というアルバムのシャケ写になった。半田技研にて現在好評発売中です!半田技研ホームページにて視聴もできますので、アレな方は是非アレしてくださいよ…フヒヒ

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Orgy of the Dead

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最近はもっぱらドラフトワンのスパークリングアロマという今冬限定の発泡酒を飲んでいる。この酒、一応ビール…というか発泡酒のコーナーに置かれているのだが、ビールに似て否なるおかしな飲み物なのだ。例えるなら「ビールが少量残ったグラスに、白ワインをつぎ足して炭酸で割ったらやっぱり味薄くて飲めたもんじゃね~失敗した~」みたいな感じ。おいしいかおいしくないかと問われれば、まちがいなく「おいしくない」と答えるだろうが、好きか嫌いかだと「好き」、酒屋3軒くらいなら探し歩いてもいいよってくらい「好き」。

10年ばかり前にプラニパって酒があったの覚えてる人いるだろうか?ジャン・レノがTVCMやってて、微炭酸、低アルコールでスポーツドリンクみたいな味の酒…あれも「おいしくないけど好き」だったなあ。下総中山の法華経寺の参道にある小さな酒屋で売ってたんだ…夏、大木にしがみつき鳴き叫ぶ蝉の声をすり抜け、あの酒屋でプラニパ飲むのが楽しみだった。

法華経寺といえば、正面から左奥の小道に入ってくと聖教殿という蔵があるんだけど、これが実に不思議な建物で初めて見た時はギョッとした…木造の寺が立ち並ぶその奥に、白い石で造られた西洋古典建築の仰々しい建物がヌッとたっているのだから…聖教殿をよく見ると、小さな動物とも妖怪ともつかない連中の像が柱のアチコチにへばりついている。柵の周りをグルッと歩きながらこれを観察するのが、また楽しい。聖教殿の小道をもう少し奥へと行くと、柵の向こうに閉鎖病棟のある中山病院が見える。すべての窓に鉄格子が取り付けられた病棟に囲まれるように薄暗く小さな庭があり、ボクがのぞいた時は盆踊りのやぐらが組んであった…

山形に越して来たばかりの時は、まだプラニパを扱ってる酒屋が一軒だけあった。千葉でももういい加減見かけなくなっていたので驚喜して箱買いしたのを覚えている。低アルコールなのをいい事に、昼間から妻とガブ飲みして、腹をタプタプにしていたのが懐かしい。こうやって書き出すと、スパークリングアロマの「おいしくない」の中に見え隠れする思い出の多さに驚く。どうりで「好き」なワケだと納得せざるおえない…今冬限定だなんていわずに、どうにか7月まで生き延びてもらえないだろうか?夏の夕方、河原でキンキンに冷えたこいつをグビリとやりながら、妻にあの時ボクが見た、異常な盆踊りの光景について語って聞かせたい。

圧力野郎

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正月に購入した圧力鍋だが、すっかり妻がハマり毎日のように色んなものに圧力をかけている。一番最初はおきまりの豚バラかたまり肉、これが短時間で柔らかく煮えたのに気を良くし、その後は鶏肉、野菜、サンマ、アンキモ(圧力鍋で作れるのな)、そして昨夜はモツ煮込み…あ、そういえばカレーやスープも作ってたな。

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今まで何時間も弱火でコトコト…なんてやってたのが、馬鹿らしく思えるくらい20分ばかりで大体の素材が柔らかくおいしく調理できてしまうので驚きだ。おいしければおいしい程「何でもっと早く手に入れなかったのだろう?」と悔しさが…や、でも昔の圧力鍋ってもっと大袈裟で、ちょっと一人暮しとか二人暮しの台所には不向きなイメージがあったんだよな。特に実家で昔使ってた圧力鍋なんてこーんなデカくて、こーんな重くてさあ、こーんなにこーんなに…まあ、少なくとも今年いっぱいくらいは我が家の圧力ブームは続くと思うので、そこで取りかえしていきたいと思います。

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猫のクロスカウンター

 猫のクロスカウンター
 http://d.hatena.ne.jp/heimin/20080104
 
この記事を見た時に「奇跡だ」と思った。この4枚の写真は奇跡!
1、2枚目のいかにもケンカ中の猫らしいポーズ2態を経て、一瞬「え、どんな格好してるの?」と悩ませるような、それでいてハッキリとクロスカウンターが決まってることが確認できる絶妙のピンボケ具合の3枚目がくる。浮き上がる落ち葉も猫の激しい動きを強く訴えかけてきて、まるで映画のクライマックスシーンのように鮮烈である。んで、おそらく少し時間がたった後であろう、場面が変わり片方の猫が腹を見せ服従している4枚目がオチになっている。この方の淡々とした文章もいい。ボクがもしこんな写真撮ったとしたら、興奮しまくって「!」マークを多様した口角泡吹くような文章を書き、せっかくの奇跡を安っぽいものにしてしまうこと間違いなし!!!!!!

この方のblogの他記事に『メシ・アーカイブ』というのがあるのですが、これまた素晴らしい。空腹時に見るとマジでヤバい!胃酸がゴンッて出てピリピリと胃に滲みます。例えば『祖母ログ』とか『ばーさんがじーさんに作る食卓』みたいに完成度の高い、見た人誰もが「あら、おいしそう」と思うような料理も素晴らしいと思うし、ボクも楽しく拝見させていただいているけども、この『メシ・アーカイブ』みたいなのは、こう…すごく脳が刺激されるのよね。この料理ひとつひとつの事を当然ボクは知らないけど、妄想ですべて解説できるぜ!みたいな気持ちになる。どういういきさつで作ったか、どういう思い入れがある料理か…写真1枚1枚から物凄く強いもの(たぶん電波)が伝わってくるような気がする。

『登亭、親父に幸あれ!』という記事の中で「極論するなら」と前置いて「料理にとっておいしさとは“作る人の気持ち”ただそれだけなのだ」とあるが、まさしく同感。お店であれば「汗水流して働き稼いできた金を払ってくれるお客に対して、どんなものを食べさせたいか」、家族であれば愛情であったり感謝であり…怒りや醒めた気持ちがあればそういうものが、料理のおいしさマズさを決定づけるのだ。愛する心というものが「愛してるぞ!」と絶叫することとイコールではないように、料理に気持ちをこめるというのは、その人が以前どんな料理にどんな反応をしたか、今日これからどんなタイミングで自分の料理に対峙するであろうかと想いを馳せることによって産まれてくるものであり、想いを馳せることなく作られた料理はたとえ“良い素材、良い調理環境、良いレシピ”が揃っていたとしても、必ずしも“おいしさ”へとは到達しないものである。

猫のクロスカウンターについて語り始めたつもりが、すっかり長くなってしまった。何やら腹が減ってしまったので、ここいらで失礼つかまつる。

 
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